実話です。
気持ち悪いっていうかもうグロ? グロテスクなので苦手な人は避けて下さい。
その日は雨が降り、ほんの少しだけ運動会が延長になってしまった日だった。
濡れてぐちゃぐちゃのグラウンドで走り、叫び、踊り回った後で、疲れきっていたわたしたちは、やっぱり優勝も逃してしまって、そりゃあもう連日の雨ですっかりしぼんで下を向いてしまったツツジよろしく落ち込んでいたわけなのである。
ぴかぴかと無駄に太陽が照ってきて、今顔を出すくらいならもっと早く出せよ! 今更遅いのよ! みたいな、軽い悪態をつくわたしたちの行く手には、雨上がりの道があった。「雨上がりの道」なんて風流な事を言っても、実質、なんてこと無い水たまりのできたコンクリの道だったのだが、そこにはひとつ、雨が上がって少し爽やかな風が吹き始めたこの場所には(いや訂正しよう、どこにも、そうどこにもそんなものはあってはならないのだ)場違いな、異質な、それがあったのだ。
ピンクの長いものだった。よくアニメなどでタコの化け物が出てくるが、そんな感じ。人が三人並べばいっぱいいっぱいになってしまうその道を横にまっすぐそのピンクは横切っていた。わたしは見過ごしていた。本日の運動会のあまりにも散々たる結果に落ち込み、今更元気になった太陽に悪態をつくことに忙しかったわたしには、気付けないものだったのだ。見つけたのはわたしの友人だった。それが良い事か悪い事かは別として、そうしてわたしたちは「それ」を見つけてしまったのだ。
みなさまはソーセージ、というものを知っているだろうか。美味しいですよね、アレ。わたしもソーセージはなかなか好きだ。好き嫌いは置いておいてもソーセージを知らない人というものはなかなか見つからないだろう。
それでは、ソーセージが何でできているか、知っている人は?
豚の腸だ。
お肉をすり潰して、子牛や豚の腸に詰めるのだ。
腸だ、とわたしの友人は呟いた。わたしはなにも言えなくなった。ソーセージじゃない腸を見るのは初めてだった。
普段わたしたちの見るソーセージといえば茶色でつやつやしているが、わたしたちがあの日見つけてしまった「それ」はまだ腐ってもいない綺麗なピンク色だった。
猫、だったらしい。やはり既に息絶えていて、その体は植え込みの中に実にうまく隠されていた。カラスだろうと思った。わたしはカラスというあの知能の高い鳥に非常に好意を抱いていたのだが、やはりあの鳥は雑食、なんでも食べるので、死んだ猫の腹から腸を引きずり出して食べたのだ。そしてそのまま、どこかに消えてしまったのだ。まあ無理は無い話だと思った。先日聞いたのだが、カラスは生きた牛の肛門をつつき、そこから徐々に食べていってしまうのだという。恐ろしい鳥だったのだ。
猫の死因は分からなかった。事故なのだろうか? 病気で死んだ? 食べ物が無くて弱っていたところをカラスに? それとも、猟奇的な人の手に?
わからないが、それはもう気持ち悪いものだったらしく、植え込みの中を確認した友人はわたしに見ない方がいいだろうとだけ告げた。わたしは頷いた。そのまま黙って帰った。
家に帰ってから、わたしは不覚にも大声で泣いてしまったのだ。赤ん坊ではあるまいし。しかしわたしには他にどうにもできなかったのだ。不可抗力という、わたしだけではどうにもできないものの前で、わたしは動けなくなってしまったのだ。
翌日、その場所を見た。猫はいなくて、血の跡だけがあった。わたしは掃除してくれた親切な方に礼を言いたかった。そしてその人が猫を大切に葬ってくれたのか、とても気になった。
一週間も経たないうちに、また雨が降った。その次の日、そこを見れば、もう血痕は消えていた。
わたしは下げていた頭を上げた。今日で、あの日から一年が経つ。早いもので、わたしはもうあの時よりひとつ大きくなっているのだ。わたしは帰り道の途中にある、いつかあのピンクのものを見かけた場所で、手を合わせて、頭を下げた。
このままあと一年したら、きっとわたしはあの猫のことを忘れてしまうんじゃないかと怖くなる。忘れ去られるその瞬間こそが、生き物の本当の死だと誰かが言っていたのを思い出したからだ。あの日、わたしたちと同じくあの道を通り、猫の死骸を見て、わたしの友人が見た凄まじい光景を見た人たちもあまたいるだろう。でもおそらく、そのほとんどが忘れてしまったのだ。猫がいたことを。
わたしは忘れたくない。死を汚いものだと目を逸らしたくは無いのだ。だから、ここに記す。わたしが見た、いっぴきのねこのさいごを。
わたしは家に向けて、また足を進めだした。
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