朝起きた。当たり前か。
賄所に飛び込んで、朝餉を猛スピードで作って、並べた膳台に全部素早く並べて、時計を見て(ちなみに6時半)、そっと窓から外を覗き見た。いつもならこの時間、中庭にはあの人がいるはずなのである。
しかし、今日はいなかった。あの仕事熱心な仕事の鬼と呼ばれる男がサボりなんてある筈なし。あたしは立ち上がった。調査のために。
春を迎えてぽかぽかと暖かい5月の朝はもう明るい。誰か起きていてもいいものを(しかも今日くらい)、あたしの足音しか響かない廊下は静かで、あの人の苦労に手を合わせたくなった。ガンバレ鬼。
鬼(失礼な!と怒られるだろう)の部屋の前まで来ると、そこには風に靡く大きな鯉のぼりが立っていた。今日のためにゴミ箱に捨てられていた特大のやつを必死に洗ったものだ。心なしか、1番空に近い場所で風をいっぱいに受けている大きな鯉があの人に見えた。
辺りを見回しても、やっぱり人影はおらず。なんだよおめえら薄情モンだなオオィ! とあたしは誰もいない廊下の向こう側を睨みつけたのだが、よく考えればこれただの不審者だね! という結論に思い至り、とりあえず慎ましやかに障子を開けてみる。障子っていうのは長い年月共存していても何故かばりーんといきたくなるから不思議だ。恥ずかしいのか何なのか、よいやっさー! と目の前の障子にしっかり張られた和紙に風穴を開けたいという衝動をぐっと堪え(ちょっと前に開けた人がいたが彼は責任を別の人に移し、移された人は1日中鬼ファーストメイトに追っかけまわされたという伝説がある)、隙間から部屋の中をこっそり見た。まず目に付くのは、低めの文机の上から天井まで届く書類の束。多ッ・・・! よくそこまで積めたよねみっつくらいに分けて置いてもいいじゃん! スゲーじゃん! ってあぶねえあぶねえ、これは風穴を開けた人・・・って何言ってるのあたし、訳分かんなくなってきちゃったぞ。それはともかく。部屋の中央には大きめの布団が1枚敷いてあって、その中央がもっこりしてた。おお。あれが本物のモッコロとキリゾーか。誰でも良いからキッコロとモリゾーだって! とツッコんでほしいものである。
というより長いですこの考察。あたしはそーっと部屋に入って、布団が上下している=生きていることを確認した。よっしゃまだ御生存ナリ。あれっ、うつっちゃった。とにかく確かめて、あたしは布団の端を掴んだ。何をするかって言えば、そりゃあ。
「起きろー! 朝ですよこの高血圧がー! 低血圧気取ってんじゃねーぞー!」
布団を勢い良く引っぺがした。すると彼は目をくわっ! と見開いて「おおおおおおおお!!」とリアリティに欠けた声で叫んだ。しかし、ハッ何言ってんだこいつ、とちょっと嘲笑ってみたあたしの頬を、何かが掠める。リアルに刃物だった。えっ。
「敵襲か!」
てんめえは戦国の武将さまか! 信長なのか!? 確かに貴様は『泣かぬなら 叩っ斬るまで ホトトギス』とか詠みそうだけれども! とにかくあたしは健在です。どこも怪我していませんよホトトギース! 最初から思っていた事なのですがあたしのテンションおかしくないでしょうか?
「敵襲じゃ御座いませんよ。はいお早う御座いまーす。はいウェイクアーップ」
そう言ったら激昂された。逆鱗! それを華麗にかわして、あたしはほんのちょっとだけ優しさに満ちた慈母みたいな微笑みを作って見せた。
「もう朝ごはんの時間ですよ。ブレックファーストタイム。早く用意して来て下さいね」
「何でお前さっきから英語を駆使するんだ?」
はっ! 大変だ、浮き立つ気持ちがつい英語になって口から飛び出してきた! あたしは慌てて手を振る。
「NOVAに通い始めまし「嘘だろ。絶対に嘘だろ。」
どうにか部屋を抜け出せたあたしは振り返って、早く着替えて来いよー! と声をかけ、とっとと廊下を元来た道で引き返した。ちょっとどきどきした。
廊下を標準速度(競歩の速度だと言われますがもっとゆっくり歩いているつもりである)で歩いていたら後ろから鬼が追いついた。イッツソウワンダフォー。足が速いものですねえと感心していたら、走ってきたんだよ馬鹿と怒られた。確かに着ている服もぐしゃぐしゃで大層急いだのであろう跡が見られる。おそらく時計を見て驚いたのであろう。かわいいところもいあるじゃないか全く。そう思いつつ食堂のドアを開けた。
「お誕生日おめでとう御座います!」
ずばーんと爆発音がして、あたしの隣に立っていた鬼さまが倒れた。何!? よく見ると、顔にマヨネーズとケチャップの素敵なコラボレーションケーキがのっている。黄色と赤が混ざり合ってなかなかだ。味の保障は出来ないが。
食堂には先程あたしが薄情者め! と怒っていたみんながいた。何だよ。みんな、覚えていてくれたんだ。この仕事の鬼でいっつも任務だ役目だほざいてて、仕事と、忠誠を誓った上司のために惚れた女すっぽらかしてこんな所まで来たこの男の誕生日を。嬉しくて、あたしが祝われているわけじゃないのに、ちょっと涙が出た。
「そうですよ馬鹿。いっぺん死ね馬鹿。お誕生日おめでとうございます」
ハンカチでマヨとケチャを拭きながら、しかもぼろぼろ泣きながらあたしは笑った。格好悪い。でもしょうがないじゃない、1年に1回のこの日、来年この人が生きているって保障は無いんだから。
「・・・けっ、くだんねー事しやがって。こんな事するくらいなら仕事しろ、仕事」
嫌味だと思うだろう。でもこの人はお礼なんて言わない。みんなもそんな事分かってるから、少し嬉しそうに笑っていた。あたしも涙でぐしゃぐしゃの顔で笑った。この男はマヨネーズとケチャップでぐしゃぐしゃの顔をあたしに拭かれるがままだった。あたしは知っている。多分、みんなも知っている。この人が昨日から日付が変わるまで、ずっとあの山積みの書類を片付けていたこと。それをこの人が誰にも言わないこと。みんな知ってるよ、強がりなキングオブ馬鹿。馬鹿の王様。誰よりも他人に厳しくて、誰よりも自分に厳しいあなたです。黄色と赤のコラボレーションにきっとあと数分したら怒り出すでしょうあなたです。本当、モッコロとキリゾーも踊らずにはいられないよ。いろいろこちらに迷惑かけて、こちらもいろいろ迷惑かけて、怒ってばっかりのあなた。
あなたはあたしが顔に付いたマヨとケチャを落とし終えると、勢い良く立ち上がって「今ケーキ投下したの誰だァァァーァァ!」と叫び始めた。語尾長えよ。まあいいけど。
本日は晴天なり。青空の元泳ぐ鯉のぼりも嬉しそうであります。あなたは今日も元気にケーキ投下の犯人を捜して走り回っています。この日に生まれた人は好色家さんだって本で読んだけれど、あなたはきっと違うのでしょうね。だって仕事と上司のために惚れた女泣かしてこっちに来た人だから。ちょっとあたしも涙目だい。今日は障子に穴を開けてもあなたは怒りそうにありませんが、開けないでおいてあげます。なぜなら、
ハッピーバースデイ、こどもの日の鬼!
(実は歳三さんは5月5日生まれだったそうです)
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