「ここにドッペルゲンガーについての本はあるかしら?」
僕は顔を上げた。目の前に居たのは酷く飾り付けられた外見の女だった。女は真っ赤な口紅が塗られた口の端を少し上げた。
「ドッペルゲンガーとは随分変わったものを探しているね。勿論、ここにはあるよ。ありとあらゆる本が揃っているからね」
そう言って僕は奥の書庫からたくさんの本を引っ張り出してきた。ドッペルゲンガーの伝説を集めたもの、会ったのに生きているという人の体験談、その他色々。ところが、女はきゅっと目を細めた。
「違うわ。私が探しているのはドッペルゲンガーに会った人や、会う人の話じゃなくて、ドッペルゲンガーの話なの」
「言い伝えを集めたものもあるよ、この通り」
「そうじゃなくて」
と女は首を振った。
「私は同じ人間と出会うとその人を殺してしまう、ドッペルゲンガーの話を読みたいの」
僕はきょとんと間抜けな顔をしてしまった。ここには(非常に口惜しい事だが)そんな本は無かった。
「偽者の物語を求めるなんて、風変わりだね」
「そうね。偽者は本当の物語を読む事が出来ないもの」
僕は改めて女の顔を見た。服装はごちゃごちゃしていて僕みたいな人なら見ただけで顔を顰めそうなものだったけど、無表情の形を作っているその顔は嘘みたいに白い肌に赤い口紅だけが色を持っていた。そして、茶色の瞳の奥には光が無かった。
「君は、もう出会ったの?」
気が付いたら、口からその質問が零れていた。
「まだよ」
女は笑う。赤い口紅。
「知っている? 本物に出会ってしまった偽者は、本物が消えると一緒にこの世から消滅してしまうのよ」
本物があるから偽物がある。本物、そのコピーされる媒体が無ければ、偽者など存在しない。それは本物となるか、消滅するか、どちらかしか道は無いのだ。柔らかな日の光が窓から零れていた。あれは本物だ。偽物は仰ぐ事が出来ない光だ。でも、僕たちは夜になれば偽物の太陽を持つではないか。偽物の月を。
「申し訳無いけれど、ここには君の望んだものは無い様だ。それじゃあ、さようなら」
「ええ、さようなら」
女は扉を開けると、外へ出て行った。扉に付けられたベルが、ちりりんと悲しそうに音を立てた。
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