「物凄く不幸な話を知っているんやけど、聞きたくない?」
僕は片目だけ器用に開いて見せた。僕に話しかけてきた男はいややなあと肩を竦め、
「そんなに睨まんでもええやんか。ただのかわいそうな話や」
と言った。男の顔の輪郭はとても細くて飄々とした印象を受けたが、その顔は色眼鏡とマスクで覆われているので良く分からない。僕は面白く無さそうな顔をして見せた。
「結構だ。その手の話はもう足りている」
僕はこういった不幸な話をよく聞かされる。泡となって消えた人魚や手にした宝剣で愛する人の命を絶った気高き勇者の話を。僕は人に対して思い遣りというものが欠如しているらしく、人魚の事を「人間に想い焦がれた魚人」と言うと怒られた。
僕の態度と反面に男は面白そうに腕を伸ばした。
「そうやろな。あんさんはもうこんな話聞きたくないやろ」
「分かっているなら、僕にその話はしないで欲しい」
僕は振り払う様に立ち上がった。背後で、男が悲しそうに顔を顰めるのが分かった。
「せやけど、この話だけはあんさんに聞いて欲しかったんや」
「要らない。とっとと消えて」
男の動く気配に振り向くと、男は色眼鏡を取った。
その瞬間、僕は息を呑んだ。
男の顔は細面に似合わない柔らかな目だった。女の様に優しい顔立ちの男は、僕の隣に音も無く移り、そっと僕の耳元で呟いた。
「やってあんさんは誰よりも優しいお人やもんな、せやろ?」
男は喉の奥でくつくつと笑った。それから、
「物凄く不幸でかわいそうな話を知っているんやけど、聞きたくない?」
と、聞いた。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、僕が頷けば男は嬉しそうに微笑み、
「昔、悲しいことがありました」
とだけ言った。
「・・・確かに悲しい事だね、悲しい話だ」
僕の目からは、何故か涙が消えなかった。
ねえ、悲しい話を知っていますか?
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