「あれでもいい人だと思ってますよ」
投げ出された足がぶらぶらと宙を泳いだ。
「みんなが思っているよりもずっと。僕は悲しかったな、昨日の町の騒ぎが」
わたしは切ったばかりの短い髪を風にそよがせながら、隣の少年を見た。
彼はわたしに微笑んで見せて、そっと歌いだした。とても綺麗な調べだった。
「きれい。自然を愛でてる唄ね」
「これも、あの人が作ったんですよ」
わたしは驚いた。彼はくすくすと笑って、女みたいに長い髪の間に顔を隠してしまった。
「あの人は、綺麗な人ですから」
「そうね。あの人はわたしが知る限りいちばん綺麗な人だった」
「そうじゃなくて、心の方ですよ」
「心?」
「はい。あの人は誰よりも自然や生き物を愛する人でしたから」
彼は笑った。あの人にそっくりな澄んだ目だけがわたしの瞳を捕らえた。
「人には、優しくないのにね」
「いいえ。人も愛でようとしましたよ」
夕暮れを迎えた町はいよいよ赤く染まる。この小高い丘からは町が一望できた。彼の紅の横顔を少し眺め、わたしは後ろへと目をやった。あるのは、黒い黒い屋敷だった。屋敷と言うよりお城と言った方が近いかもしれない。
「この町は、三度洪水の危機にあっているんです」
「・・・それを、あの人が?」
「はい。あの人は本当に愛情表現が下手な人でしたからね」
強く風が吹いて、わたしの短い髪と、笑っている彼の長い髪を揺らした。
「そっか。これからこの町は水浸しになるんだね」
「いえ。もう大丈夫でしょう。人間たちは高い壁を作ることを学びましたから」
「自分が人間じゃないみたいに言うね」
「純粋な人間ではないでしょう。あの人の血を継いでいるのだから」
確かに彼は人間ではないのかもしれない。彼の目の色は不思議なまでに透き通ったから。
「ねえ、じゃあ最後にあの人はみんなに高い壁の作り方を教えたの?」
「そうですよ。みんなに気付かれないように、こっそりと」
「・・・・・・そっか」
太陽が眠りにつき、世界が闇で覆われた。しかし次の瞬間、町から小さな灯りが漏れ出す。それは小さな宝石のように輝き、星の海のように美しくきらめいた。
「凄いわね。とても綺麗」
「あの人はこの景色を愛し、町がよく見えるこの丘に屋敷を建てました。町の人たちは高い位置にそびえ立つこの屋敷を悪魔の使いの家だと思ったみたいですけど」
わたしの記憶の中を、真っ直ぐに伸びた背が過ぎった。
綺麗な人。恐れられた人。この闇に溶け込む、黒い屋敷の主人。
昨日の町での騒ぎ。男たちが大声で歌を歌った。魔女が死んだ、俺たちを縛るものは何も無い、魔女が死んだ。わたしは何故か悲しかった。小高い丘に住むあの魔女は、わたしたちを虐げることなんて無かったのに。わたしは今日、この屋敷の前に来た。その時のわたしの髪はまだ長かった。
わたしはそっと手を髪に当てた。短い髪に違和感を覚えた。
「わたし、この髪をあの人に捧げてよかった」
彼は笑った、と思う。暗闇の中で表情はよくわからなかった。
「ありがとうございます。きっとあの人も喜んでくれるはずですよ」
「魔女は天国へいけるの?」
「大丈夫、あなたがあの人に祝福を与えてくださった。あの人ならいけますよ、そう信じましょう」
わたしは、丘の上から見える無数の輝きに手を合わせた。そして、彼と一緒に唄を歌った。
魔女が作った、自然を愛でる唄だった。
死んだ魔女に、追憶の唄を。
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