完結です。今までお付き合いいただき有難う御座いました。
Refrain 4 もしあなたが全部思い出せたなら
「お早う」
目を開けると、夕方だった。気が付けば病院のベッドの上だった。そのベッドにさっきまでいた人物は、こちらを見て微笑んでいる。
ピンクのカーディガンを羽織って、下は病院のパジャマで、長い髪は寝た時に邪魔にならないように横に、緩やかに結わえているし、その緑の瞳は深く深くどこまでも引き込まれていきそうな色をしていて、パジャマの裾から覗く手首や首元はほっそりしていて、それは見まごう事無く、この病院に、数週間前に記憶を失ってやって来た女の姿だった。しかし、女の美しい曲線を描く唇から漏れ出でる声は、聞き間違える筈が無い。
「・・・・・・空・・・」
「思い出してくれたんだ」
にっこりと空は笑う。もう、違和感は無い。この体に刻み込まれた「空」という人間の記憶がゆっくりと開かれていく。
「遺伝子を覆してきたよ。やっぱり、記憶は失っちゃったけど」
でも、元に戻れた。
夕日を眩しそうに見つめる空の横顔は、あの日、彼方に飛び立った少女の顔のままだった。
「・・・ねえ、あの子は、死んでしまったんだね」
冷たい声だった。彼女の事だ。この前、ひっそりと息を引き取った。
「だから、あたしたちの記憶も元に戻ったの?」
「空、君は」
「かわいそうなひと。本当にあなたの事が好きだったんだよ、あの人」
空は、泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙を零して。
「あたしがあの子に不幸を運んできちゃったんだよね? ごめんなさい、ごめん」
すっかり大人になったのに、そうだよ、あれからもう10年経ってしまったのだ! それなのに、俯く空の横顔は10年前とちっとも変わっていなくて、浦島太郎になってしまったような気持ちになる。ねえ、君には、どんな道のりが待っていたんだろう。苦しかった? 辛かった? しかしそれも、言葉にならず、舌の根にくっついたままになっている。
「運命なんて、捻じ曲げない方が良かったのかな」
涙が綺麗だ。そう思ったら、口が勝手に動いていた。
「あいつは、幸せだって言って、死んだんだ」
空の動きが止まる。震えが止まる。
「・・・あいつは、もしかして、空、お前の事を覚えていたのかもしれない」
*****
夜、布団を敷いていると、突然声がかかった。
「ねえ、わたし、幸せよ」
「何をいきなり」
彼女はにこにこ笑った。
「優しい人。わたし、あなたと一緒にいられて本当に良かった」
夜の空は、多分、三日月。
「ねえ。わたしはあなたが大好きなのよ。それはきっとずっと変わらない。ずっと・・・生まれ変わってもよ。わたし、予感がするの。漠然としたものだけど。あなたはきっと覚えていないわ。忘れてしまったのよね。わたしは、あの人とふたつで存在しているの。もう少しで、あの人は自由になるわ。その時にね、わたしはあの人のところに戻る・・・そうね、きっとそういう言い方が正しいのよ。そんな、気がするの」
「戻る?」
「だからね、もしあなたが全部思い出せたら・・・幸せに、なってね」
「・・・うん・・・・・・?」
彼女は微笑んで、「お休みなさい。いい夢を」を言った。
それが、彼女の最後の言葉だった。
*****
「そっか」
空は愛しげに胸の辺りを撫でた。
「あの子は、あたしの中にいるんだ、ね」
茜空は、だんだんと暗くなりゆく。空の緑の瞳が赤を灯して、不思議な色を作り出した。
空は勢い良く顔を上げた。そして、アイツそっくりに微笑む。
「・・・ただいま」
「おかえり」
空の華奢な手を、優しく握る。
宵は綺麗だった。
大切な彼女と共に、歩く道は薄暗く、青に満ちていて。
頭上、はるか高くを飛んだ鳥たちに、彼女は、
「行ってきます」と、呟いた。
Refrain 〔完〕
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